2009/11/05(Thu)
血の膿地獄
普段よりも更新の頻度が早いという……
というわけでこんばんは。にょっふんどす。
本日の昼間、何とか無事に退院して参りました~
いやはや、久方ぶりの娑婆の空気は……寒いッ!
もしもの時のためにフリースを持って行ってたからよかったようなものの、何ですかあの弱々しい日差しは。
くそぅ、K平め。斜めアングルから見た姿が私にそっくりなだけでなく、どうしようもないダジャレで気温を下げやがって。ゆるさん!(笑)
しかし、あれですね。わずか一週間とはいえ、入院生活ってのはこんなにも人の体力を衰えさせるものなんですね。
歩いていて時々ふらつきました。や、ま、荷物抱えてたってのもあるんですが。
ただ、手術前と退院前の血液検査の結果として、貧血気味な状態に陥っていたのは事実。
病院食ってのは、栄養のバランス自体はいいんですが、やっぱりどうしてもカロリー不足に陥るものなのかなぁ、と。しみじみ。
そう思ったからなのか、お昼はカレーにしました。
H池の駅前の建物の中にある、ガラムというカレー屋。美味しいのです。わたくしごのみ。
なんだか最近とみにalooon様が「タイカレーが食べたい」とおっしゃっているのですが……今度メニューにないか確認してみます(汗)
ちなみに、入院中はひたすら流動食でした。ご飯も全粥で。
朝食で時折出てきた「うらごしりんご」が美味しかったです。アレは単純にデザートとしてもなかなかいけると思う。
あと、奇抜だと思ったのは野菜のジュレ。献立表ではあくまでも「ひたし」となっているんですが……ひたし?(・ω・;)
キャベツのジュレとトマトのジュレで「ミニサラダ」となっていたのにもちょっと笑いを誘われましたけれども。
で。
この一週間の経過など。
先月の29日、午前中だけ出勤して、昼には父親と合流し、病院へ。
午前の仕事で年賀ハガキの発送作業やら道順組み立てやらをやっていたんですが……さすがに三時間じゃ足りませんね(汗)
頼まれていたぶんも全然できておらず。
とにかく年賀・年賀・年賀や!で発送だけして、タクシーにて自宅に荷物を取りに戻りました。ついでにお着替え。
父親と合流後は、とりあえずザ・丼にて昼食をとりました。
で、その日は入院の諸注意などを聞いて、寝間着に着替えて寝るだけでした。
波乱は翌日。手術の日。
朝から絶食です。
お通じも済ませないといけません。全身麻酔ですから。
しかし、下剤まで飲んだのに、出ず……(汗)
やむを得ず、最後の手段を直接的に用いて、準備万端。
手術前に、今一度、父も交えて説明を主治医の先生から受けます。
私はすでに一度聞いていたことでしたし、色々と覚悟とか用心とかを説かれてもまぁ、それが当然と思っていたのでしたが……父上さま。
お願いですからもう少し、せめてもうちょびっと、落ち着いてくださいまし(・ω・;)
中央処置室の前で父と別れ、手術台へ。
手術着を剥かれ、裸になっていく過程で……へっくし。
先生「ぜんぜん緊張しとらんな……(呆)」
目を瞑って、処置を待ちます。
左腕に注射針が刺されます。
先生「冷たいのが入ってくから、それが入ったら眠くなってくからね」
……本当にその通りでした。ああ、冷たいなー……って思ってたら、そのまま、すとん、と。
そこからはもう、全然意識がありません。憶えておりません。
ただ、たぶん、術後かなり経って夕方くらいにはなっていたと思いますが、痛みが激しくて目を覚ましかけ、痛み止めの最後の手段(本日二度目)を食らった時をおぼろげに記憶している程度でございます。
で、しかも、ちょっと日時の認識までズレが来ているという(汗)
翌31日、朝、気がついたらもう、全身麻酔時と同じように左腕には点滴、そしてアレな箇所にはカテーテル。
ううむ、思い出しても気持ち悪い(苦笑)
とりあえず半日くらいはそのままで。
今回の施術内容は以前のブログでお伝えしたとおりですが、術後の状態について、少し。
まず、口の中には縫合の糸があります。上顎洞を切り開いた時のものですね。それと、左下の親知らずのところも縫い合わされている状態になっています。
こちらの気持ちとしては右下の親知らずも一気に処置してほしかったのですが……よく考えるとそれじゃ食事もできないぞ、ということで、左下だけにしてもらいました。右下はいずれ外来でやってもらいます。
で、鼻からはガーゼが出ています。これが上顎洞の中に詰まっているわけでございまして。
腫れ上がっていました。薬が切れてくると鈍い痛みというか、疼きというか、ごわごわしていやな感じ。
そして、口の中を金属の器具でガシガシやったために、唇の端っこが派手に荒れています。これが痛い。軟膏を塗って対処します。
術後の入院期間は、主としてこれの消毒・洗浄処置と、流動食の摂取のために費やされたのでした。
そして昨日(4日)。
ガーゼが外されます。ってか、引き抜かれます。
や、確かに、事前のご説明通り、三秒で済みました。
でもあまり思い出したくない三秒です。あんな長い三秒はもうしばらく経験したくありません。
鼻の奥の辺りから1メートル超の赤黒いうどんみたいなのが、ずるずるずるっ、と一息に引き抜かれるのです。
思わず歯を食いしばりました。眦にはうっすらと心の汗が浮かびます。な、泣いてなんか、ないんだからねッ!(TωT)
その後の出血の様子は、まぁ良好。
上顎洞の奥にたまった血塊が、時折、どろりと出てくることがありますが、まぁこれはしばらく致し方のないところ。
そして今日、なんとか退院と相成ったわけでございます。
入院中は様々な方にご迷惑をおかけしてしまいました。
まず、こんな私の手術のためにシフトを思いっきりやりくりしてくださった副班長には、感謝感激です。
年賀の発売開始でめちゃくちゃお忙しいというのに……ありがとうございました。すみませんでした。
そして、わざわざ立ち会いのために田舎から出てきてくれた両親も。
こんな手術してる間にも、父などはきっとテニスをしたかったに違いありません。申し訳ない限りでございます。
主治医の先生も、看護師の皆さんも、こんなへんてこな患者を相手に、色々お手数だったことでございましょう。大変お世話になりました。
それから、alooon様とimooon様が、わざわざ平日にお見舞いに来てくださいました。それも差し入れまでしてくださって……お構いもできず、すみませんでした。
いただいたものを見て、「これで『それが朽ちる時私の命も終わるのね』ぷれいができるかも」とちらと思ったのですが……、それを口にするとその造花のバスケットを火にくべられてしまいそうだったので、黙ってました。惜しかったですね(何)
入院中、朝夕しかケータイを見ず、しかも充電器を持って行っていなかった愚かなわたくしは、非常に煩わしい時間帯にメールやお電話のお返事をするという、困った大人ぶりでした。職場の皆様にもさぞご迷惑だったろうと思います。すみません。
ついでに明日ももう一日休ませていただきますので、重ねて申し訳ありません。
うぅ……っと、ここまで一気に書いていると、さすがに頭がくらくらして参りました(何)
まずは体力を十全に戻していくところから始めないといけないようですね。思いのほか虚弱になってて困ります。
というわけで、書き逃げします(ぉ)
おやすみなさいまし~(・ω・)ノシ
というわけでこんばんは。にょっふんどす。
本日の昼間、何とか無事に退院して参りました~
いやはや、久方ぶりの娑婆の空気は……寒いッ!
もしもの時のためにフリースを持って行ってたからよかったようなものの、何ですかあの弱々しい日差しは。
くそぅ、K平め。斜めアングルから見た姿が私にそっくりなだけでなく、どうしようもないダジャレで気温を下げやがって。ゆるさん!(笑)
しかし、あれですね。わずか一週間とはいえ、入院生活ってのはこんなにも人の体力を衰えさせるものなんですね。
歩いていて時々ふらつきました。や、ま、荷物抱えてたってのもあるんですが。
ただ、手術前と退院前の血液検査の結果として、貧血気味な状態に陥っていたのは事実。
病院食ってのは、栄養のバランス自体はいいんですが、やっぱりどうしてもカロリー不足に陥るものなのかなぁ、と。しみじみ。
そう思ったからなのか、お昼はカレーにしました。
H池の駅前の建物の中にある、ガラムというカレー屋。美味しいのです。わたくしごのみ。
なんだか最近とみにalooon様が「タイカレーが食べたい」とおっしゃっているのですが……今度メニューにないか確認してみます(汗)
ちなみに、入院中はひたすら流動食でした。ご飯も全粥で。
朝食で時折出てきた「うらごしりんご」が美味しかったです。アレは単純にデザートとしてもなかなかいけると思う。
あと、奇抜だと思ったのは野菜のジュレ。献立表ではあくまでも「ひたし」となっているんですが……ひたし?(・ω・;)
キャベツのジュレとトマトのジュレで「ミニサラダ」となっていたのにもちょっと笑いを誘われましたけれども。
で。
この一週間の経過など。
先月の29日、午前中だけ出勤して、昼には父親と合流し、病院へ。
午前の仕事で年賀ハガキの発送作業やら道順組み立てやらをやっていたんですが……さすがに三時間じゃ足りませんね(汗)
頼まれていたぶんも全然できておらず。
とにかく年賀・年賀・年賀や!で発送だけして、タクシーにて自宅に荷物を取りに戻りました。ついでにお着替え。
父親と合流後は、とりあえずザ・丼にて昼食をとりました。
で、その日は入院の諸注意などを聞いて、寝間着に着替えて寝るだけでした。
波乱は翌日。手術の日。
朝から絶食です。
お通じも済ませないといけません。全身麻酔ですから。
しかし、下剤まで飲んだのに、出ず……(汗)
やむを得ず、最後の手段を直接的に用いて、準備万端。
手術前に、今一度、父も交えて説明を主治医の先生から受けます。
私はすでに一度聞いていたことでしたし、色々と覚悟とか用心とかを説かれてもまぁ、それが当然と思っていたのでしたが……父上さま。
お願いですからもう少し、せめてもうちょびっと、落ち着いてくださいまし(・ω・;)
中央処置室の前で父と別れ、手術台へ。
手術着を剥かれ、裸になっていく過程で……へっくし。
先生「ぜんぜん緊張しとらんな……(呆)」
目を瞑って、処置を待ちます。
左腕に注射針が刺されます。
先生「冷たいのが入ってくから、それが入ったら眠くなってくからね」
……本当にその通りでした。ああ、冷たいなー……って思ってたら、そのまま、すとん、と。
そこからはもう、全然意識がありません。憶えておりません。
ただ、たぶん、術後かなり経って夕方くらいにはなっていたと思いますが、痛みが激しくて目を覚ましかけ、痛み止めの最後の手段(本日二度目)を食らった時をおぼろげに記憶している程度でございます。
で、しかも、ちょっと日時の認識までズレが来ているという(汗)
翌31日、朝、気がついたらもう、全身麻酔時と同じように左腕には点滴、そしてアレな箇所にはカテーテル。
ううむ、思い出しても気持ち悪い(苦笑)
とりあえず半日くらいはそのままで。
今回の施術内容は以前のブログでお伝えしたとおりですが、術後の状態について、少し。
まず、口の中には縫合の糸があります。上顎洞を切り開いた時のものですね。それと、左下の親知らずのところも縫い合わされている状態になっています。
こちらの気持ちとしては右下の親知らずも一気に処置してほしかったのですが……よく考えるとそれじゃ食事もできないぞ、ということで、左下だけにしてもらいました。右下はいずれ外来でやってもらいます。
で、鼻からはガーゼが出ています。これが上顎洞の中に詰まっているわけでございまして。
腫れ上がっていました。薬が切れてくると鈍い痛みというか、疼きというか、ごわごわしていやな感じ。
そして、口の中を金属の器具でガシガシやったために、唇の端っこが派手に荒れています。これが痛い。軟膏を塗って対処します。
術後の入院期間は、主としてこれの消毒・洗浄処置と、流動食の摂取のために費やされたのでした。
そして昨日(4日)。
ガーゼが外されます。ってか、引き抜かれます。
や、確かに、事前のご説明通り、三秒で済みました。
でもあまり思い出したくない三秒です。あんな長い三秒はもうしばらく経験したくありません。
鼻の奥の辺りから1メートル超の赤黒いうどんみたいなのが、ずるずるずるっ、と一息に引き抜かれるのです。
思わず歯を食いしばりました。眦にはうっすらと心の汗が浮かびます。な、泣いてなんか、ないんだからねッ!(TωT)
その後の出血の様子は、まぁ良好。
上顎洞の奥にたまった血塊が、時折、どろりと出てくることがありますが、まぁこれはしばらく致し方のないところ。
そして今日、なんとか退院と相成ったわけでございます。
入院中は様々な方にご迷惑をおかけしてしまいました。
まず、こんな私の手術のためにシフトを思いっきりやりくりしてくださった副班長には、感謝感激です。
年賀の発売開始でめちゃくちゃお忙しいというのに……ありがとうございました。すみませんでした。
そして、わざわざ立ち会いのために田舎から出てきてくれた両親も。
こんな手術してる間にも、父などはきっとテニスをしたかったに違いありません。申し訳ない限りでございます。
主治医の先生も、看護師の皆さんも、こんなへんてこな患者を相手に、色々お手数だったことでございましょう。大変お世話になりました。
それから、alooon様とimooon様が、わざわざ平日にお見舞いに来てくださいました。それも差し入れまでしてくださって……お構いもできず、すみませんでした。
いただいたものを見て、「これで『それが朽ちる時私の命も終わるのね』ぷれいができるかも」とちらと思ったのですが……、それを口にするとその造花のバスケットを火にくべられてしまいそうだったので、黙ってました。惜しかったですね(何)
入院中、朝夕しかケータイを見ず、しかも充電器を持って行っていなかった愚かなわたくしは、非常に煩わしい時間帯にメールやお電話のお返事をするという、困った大人ぶりでした。職場の皆様にもさぞご迷惑だったろうと思います。すみません。
ついでに明日ももう一日休ませていただきますので、重ねて申し訳ありません。
うぅ……っと、ここまで一気に書いていると、さすがに頭がくらくらして参りました(何)
まずは体力を十全に戻していくところから始めないといけないようですね。思いのほか虚弱になってて困ります。
というわけで、書き逃げします(ぉ)
おやすみなさいまし~(・ω・)ノシ
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