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おそらく、それもある種の真実―本能寺の変―

アレなタイトルですんません。
おまけに、5日も仕事なのに何でこんな時間にブログ書いてるんだというセルフつっこみもございますけれども。
突然思いついたことがございますもので。


以下折りたたみでぐだぐだ。




腐女子的思考でみる本能寺の変


……きっといろいろな人の影響でこんな思考するようになっちゃったんだ。しょぼん。


おそらく、なんですが、ね。
明智光秀と織田信長って人たちは、お互いに本当に敬愛しあってたんじゃないかと思うんです。
たぶんラブラブです。
お互いの信頼関係が強ければこそ、二人の立場はあり得た。
それこそ、本能寺の変の直前くらいまで、二人の関係は最高に絶好調だったんじゃないかと思います。相性もよかったんでしょうね。

ただ、きっと、ちょっとずつズレも生じてきていたんだと思いますけれど。

ここでは、そのズレの正体がなんだったのかについては申しません。きっと、二人の間だけのことだったでしょうから。
お互いにうまくいっていると信じ切っていたからこそ、ふとしたことで歯車がかみ合わなくなる。そんなこともあったのだろうと推察します。


たぶん、光秀はある種の強迫観念があったんだと思います。
「これだけ自分は信長公に尽くしている。だからこの思いが裏切られることはない」と。
これに対し、信長のほうはどう思っていたのか。信長にはここまでの思い詰めた感情はなかったでしょう。それ以上に大きな視点でいろいろを見つめる必要があった、ということかもしれません。
しかし、こういう視点の置き所が違ってくるように、齟齬は生まれつつあったのだと思います。


そして、本能寺の変は起こりました。
正確には、光秀が引き起こしたんですが。


結論から言えば、光秀は、関係を清算したかったということなのかも知れません。
お互いがお互いに対して抱いている敬意や愛情をそのままに、お互いがお互いらしくある、そういう状態での幕引きを図ったのかも知れません。
ただ、残念なことに、信長は武力を多く用いた人で、光秀もまた武人でした。
光秀が隠居するという選択肢もあったかも知れませんが、ただこれがうまくいかないであろうことは、武田討伐後の滝川一益の処遇を例としてみても、推測できると思います。

光秀には、選択肢が残されていませんでした。
だから、謀反するしかなかった。



何とも、うまく言葉にできませんが、そういうことだったんではないかなぁと、妄想する次第であります。




現代に生きる小市民なわたくしとしましては。
謀反という血腥い選択肢が、現代にあり得ないものであってよかったと、心から思います。
本能寺の変という「精算」の後に信長と光秀が共存する世界というのはあり得ませんでしたけれども、現代日本ではそれが可能ですものね。

ちょびっと、心の中で明智光秀がささやいたような気がした、そんな未明のこと。
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にょっふん

Author:にょっふん
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